S子は夢の中で母親に風呂掃除を頼まれていた。
面倒くさがりながらブラシを片手に浴室に入ると、そこには直径1mほどの巨大な穴が出没していた。
「随分大きな穴だなあ」
S子は至って冷静だった。穴の奥はどうなっているのだろう。好奇心でS子は穴の底を覗き込む。すると深くて暗い穴の底には人間のような生き物の頭が見えた。大変だ。すぐに助けなくては。S子は何か人を引き上げる道具がないか辺りを探した。あまりめぼしい物はなく、使えそうなものといえば掃除機のコードぐらいだった。こんなもので持ち上がるのかと不安だったが、急がねばならない。S子は底にいる何かに声をかけながらコードを垂らした。
「今、助けます!掴まってください!」
ところが、底からは何の返答もない。それどころか、コードに触れる感触すら伝わってこなかった。
「えっと、大丈夫ですか。動けますか?」
穴の中は暗く、どうなっているかよく見えない。S子は懐中電灯の電源をつけ、穴の底に光を当てた。そして、こちらを見る男としっかり目があった。
大きな顔をした男は、こちらに助けを求めるわけでも、掃除機のコードに手をかけることもなく、ただ黙ってこちらを見ている。その目はどこか暗澹で、野卑で、そして恐ろしかった。S子は血の気が引いた。
下に何か恐ろしいものがいる。でも、ここは自分の家を捨てて逃げるわけにもいかない。S子は少し考えた後、とりあえず母親にこの出来事を説明しようと玄関を掃き掃除している母親に声をかける。
S子「お母さん、あのねお風呂に穴…」
母親「まさか見えたの?」
母親のホウキを動かす手が止まる。
S子「………え、うん。男の人が…。」
母親「………寝室に行くよ。」
母親は深刻な顔つきで続ける。
母親「部屋に入ったら鍵は絶対に開けないこと。外から誰の声が聞こえても、絶対に。」
S子「え、でも」
母親「早く。ほら行くよ。」
S子は訳も分からないまま母親に連れられて寝室へと入り、鍵をかけた。
ところがここでS子は気づいてしまう。母親の顔が微妙に違うことに。
母親「良かったァ。ここにいれば、安全ね。」
母親は嬉しそうに笑っている。だけど母親の笑顔はこんなんじゃない。ほとんど同じに見えるけど、確実に何かが違う。S子は震えを悟られないよう、必死に隠した。
その時、扉の向こう側からどなり声がする。
「S子ちゃん?S子ちゃーん!開けて!!そこにいたらだめなのよ!!!」
扉の向こう側からは母親からの必死な呼びかけが聞こえる。
「罠よ。この声は無視しましょ。」
部屋にいる母親が誘導をしてくる。
一体どちらを信じればいいのか。S子は迷ったが、隣にいる母親の顔にどうしても違和感がある。その一心でS子は扉の鍵を解除し、勢い良く扉を開けた。
扉を開けた先に立っていたのは母親ではなく、あの底にいた男だった。衝撃で緊張して固まった首をぎこちなく動かして後ろを振り返ると、母親のような人物は言った。
「ね?開けない方が良かったでしょ??」
その人物は大笑いをした。よく聞くと笑い方も声色も違う。本当のお母さんはどこなのか。目の前の男は誰なのか。何が目的なのか。笑い声だけが部屋に響いている。
ここで目が覚めた。この男はこの夢以降、
低頻度で夢に現れるという。
しかし、はっきりと覚えている夢は
この夢のみだという。