S氏はある夜、奇妙な夢にうなされた。
以下が夢の内容である。
夢の中でS氏は、真夜中のスーパーマーケットで一人、カートを押していた。自宅で飼っている2頭のヒグマにあげる餌を、どうしてもすぐに調達したかったのだ。
売り場は当然電気などついていない。頼りになるのは冷蔵品コーナーから漏れる小さな照明と、非常口を知らせる緑色のランプぐらいだった。
生肉のコーナーで真剣に商品を選ぶS氏に、レジ前にいる店員は、眠たそうに大きなあくびをした後でまぶたを擦りながら呼びかけた。
「もういいですかー?早く決めてくださいよー。」
店員には申し訳なく思っている。こんな夜中に叩き起こして、無理に接客をさせているからだ。
「あぁすまない。あと2分だけ待ってくれ。」
S氏は焦りながら陳列された肉を漁る。その時、その中に紛れて何やら妙なものがあることに気がついた。
「…なんだこれは。」
S氏は物体に顔を近づける。よく見るとそれは紙の貼られた黒い板のようだった。紙には小さな活字で何か書いてあるようだが、水が滲んでいてよく読めない。なんだか嫌な感じがしたので、触れないようにしておこうとすると、後ろから店員とは別の声が聞こえた。
「それは触ると御利益があるんです。だから触ってみてくれますか。今すぐに。」
S氏が後ろを振り向くと、暗い顔をした猫背の男がこちらを見て立っている。突然話しかけてきたかと思えば随分厚かましい物言いだな。S氏はそう思ったが、男の言葉の真偽が少し気になった。これを触れば、空からお金でも降ってくるのだろうか。S氏は好奇心に負け、板を持ち上げた。そうすると途端に、まるでチャンネルを変えたかのように、辺りの景色が一変した。
気づいた時には、S氏は海に浮かんでいた。
右を見ても左を見ても、見えるのは果てしなく広がる海と水平線だけだった。これのどこが御利益なのか。S氏は狐につままれたような気分だった。帰ろうにも、場所もわからなければ道具すらない。S氏はどうすることもできず、ただ波に体を任せ浮かんでいるしかなかった。
夜明けの海をえがいた絵画に入り込んだような、静かな世界の中でしばらく波に揺られていると、奥に島のような塊が見えた。S氏は期待を胸に拙い犬かきでその島を目指した。
その時、つま先に何かが当たった。驚いて海の底を確認すると、黒い巨大な影が体の下を通過したように見えた。かと思えば、周囲の海面は大きな地震が起きたかのように激しく揺れだし、水しぶきが豪雨のように舞ってあちこちへ飛び散った。サメだ。きっとサメに違いない。S氏は身の危険を感じた。海の奥底から強い水圧が身体にぶつかってくる。海の中にいる巨大な何かは、S氏に襲いかかるタイミングを窺っているかのように周辺を泳ぎまわっている。
巨大魚がS氏の目の前を通る。その大きさはあまりにも大きく、30メートルはゆうに超えているように見えた。それなのにサメとも、クジラとも違う未だかつて見たことのないような姿をしていた。
正体が何なのか検討もつかないが、それどころではない。こんなのに襲われたらひとたまりもない。S氏は一心不乱に島の方へ進み続けた。
荒波に揉まれながらも、何とかしてS氏は砂浜へと辿り着くことができた。S氏は息を切らしながらなんとか立ち上がると、身体についた砂と海藻を払った。
砂浜には大量の鞄やリュックが流れ着いていた。そしてその周りには、書類や錠剤、鍵など色々なものが散乱している。その中にあった本を持ち上げてみる。よく見るとそれは日記のようだった。開くと、ほとんどのページはちぎられており、最後のページだけが残されていた。そしてそのページには、小さくメッセージが書かれていた。
「この島へ辿り着いた貴方へ 白光の下でお待ちしています」
ここはどこなのだろう。S氏は途方に暮れていた。
島には人間の背丈ほどの草木が行く手を阻むように一面に生い茂っていた。島の中は入れそうにない。それならば、砂浜を歩くほかないだろう。S氏は砂浜を彷徨うことにした。
歩けども歩けども、あるのは同じような景色ばかりだった。変わったところといえば、日が落ちて先程より薄暗くなったことぐらいだ。
そういえば腹が減った。S氏は何か食べるものがないかポケットを探った。ポケットにはスーパーで物色していた生肉のパックが入っていた。
「とりあえずは、これで凌ぐか。」
火を起こすため、S氏は茂みの周辺で枯れ葉を探すことにした。
しかし大きな植物だ。そう思いながら草木を見回した際、S氏は茂みの奥に強い日差しの降り注ぐ不思議な空間があることに気がついた。
たしか日記には、白光について書かれていた。あそこにいけば誰かが待っているかもしれない。S氏は期待を胸に、早々に茂みの中へ入っていった。強引に草を引き抜き、その空間の下まで行くと、そこには建設途中の建物と、ちぎられた日記の切れ端が数枚、そしてその切れ端を持ったまま力尽きている一体の骸骨があった。
淡い期待はすぐに絶望へと変わった。S氏は骸骨の手から日記の切れ端を拾う。
「この島には、この場所がどうしても必要だ。しかし、私はもう限界を迎えそうだ。これを読んだ貴方に、私の後任を務めていただきたい。」
切れ端にはそう書かれていた。また、その他のページには建物の設計図が書かれていた。
こうして、S氏の長い夢は始まったのだった。